Aminosäureがsichになるまでの間に考えたこと

本などをきっかけに考えたこと。

久々に図書館楽しいと思った。kindleだけじゃなくて。

天才児のための論理思考入門

天才児のための論理思考入門

やっぱり三浦俊彦さん好きだわ。
問14のやぎさんゆうびんの話すき。話の内容より、あなたと話していたいということが伝え合いたい時もある。
問17の生命進化の余命の話。久々に夫と議論が盛り上がった。「きもちわるい」と連呼しながらも付き合ってくれる夫w
三浦さんの哲学・論理学以外の本も読んでみたい。


私が最初に時間について不思議に思ったときの感覚思い出す。
第2章の存在論。世界や私がある不思議みたいな話で、もともと、人間原理的な話と奇跡っていう言い方があって面白いと思っていたが(後者のほうが好き。)、両方って言われて、既にそういう話になっていたのかというかんじ。


これがニーチェだ (講談社現代新書)

これがニーチェだ (講談社現代新書)

ここでもなお、ニーチェに共感できる人は、もともとただおめでたい人か、さもなければ、そこに最後の救いを求めざるをえないほど弱く苦しい、変形されたキリスト教徒か、二種類しかいない。

204頁より。
弱く苦しい変形されたキリスト教徒になりたくない。どうしたらいいんだ。でも別にいいかという気もする。
あかんやつや、これ…


人物デッサンのすべて

人物デッサンのすべて

今だ知らない大切なこと

イライラして食べる。
お腹が苦しくなってイライラする。
肺が圧迫されるのか息も苦しい。
(ここまでいつものパターン)
吐く体力もないので下剤飲んでぐったりする。
(最近のパターン)


何かこうなりたいと思うとき。
「わかっているのに出来ない」と思っているけれど、実は大事なことがわかっていなかった。だから出来なかったのだ。
という本にちょこちょこ出会うし、そういう経験もある。
今だ知らぬ大事な何かがわかれば、イライラや不安や焦りや悲しさや無気力から解放され、どこまでも無駄なエネルギーの消費の仕方をやめられ、健康と安心を手に入れられるのだろうか?

音楽を教えるということ

うたごえ喫茶のピアノ伴奏。


休憩中に5、6歳のちびっ子が楽器に興味を示して、適当に音を鳴らして遊んでいた。ちびっ子にピアノを教えてみたいと思った。


と同時にこうも思った。
その子が出している音は、楽譜に書けるようなものじゃないけれど、それは既に音楽だ。(実際あらゆる音は音楽と呼び得るし、あらゆる行為は芸術と呼び得ると思う。)
音楽ではないと言うなら、それは「私達とルールを共有する種類の音楽ではない」ということではないか。


子どもは生まれた時、無秩序で自由であらゆる可能性の中にいる。
そしてこの世界にすでに生きている人達と一緒に生きていく為に(或いはそうさせる為に大人が)言葉の意味を限定し、行動の方向性を定め、私達の社会と折り合いがつくようにしていく。

「音楽を教える」という行為もそれと同じではないか。只の音楽を、私達とルールを共有できる音楽にしていく。音符と音、鍵盤の対応や協和・不協和。声の出し方や指の使い方。思った音を出すこと。何が美しくて何が美しくないか。
そのルールは絶対や必然ではないし、「音楽を教える」ことが正しいのかはわからない。だけどそのことでその子は私達と一緒に音楽ができるようにはなる。


複数人で一緒に音楽をする人達は、今この世界にある音楽のルールを共有し、その中で(おそらくは)同じ所を目指している。
(ルールの共有という意味では、言語によるコミュニケーションやスポーツにも似ているかもしれない。)
(目指す物・目標というはどんな場合も相対的に、個別にしか決められないのかもしれない。全ては「自分達が勝手に決めた目標」であることには変わりないのかもしれない。)

空気が読める・読めないということ


■私にとっての定義にそった直感的な「空気読めない」と類似概念との違い


空気読めない:言語化されていないことを感じ取ったり行間を読んだりできない。


↓「空気読めない」と混同されがちであるが、違うもの
・集中力の欠如
・理解力の欠如(言語化されたことを論理的に読み解くことができない)
・空気を読まない(読めているが、それにそった行動をとらない)
・空気を読もうとしない(その場の情報を取り入れようという意思が無い)


■「知らない」と「理解できない」―「空気読めない」の再考察


空気読めない人は、それぞれの空気の意味を知らないのではなく、読み方を理解できないのだと思っていた。


ある種の人は慣用句などが理解しづらく、そのままの意味にとってしまうらしい。
しかしそれは理解できないのではなく、その慣用句を知らないということではないのか。
(慣用句や例えというものの性質、そのままの意味以外のことを指す言葉が存在するということを理解できないというなら別だが。)


もしかして、空気読めないというのは、無数にある非言語的慣用句のようなものを知らないということなのだろうか。
それらの記号はとても多くあり、微かな違いによって細分化されているが、原理的には体系化不可能ではないのではないか。
空気が読める人たちはそれらの規則を社会生活の中から読み取り、学び、身につけ、使う能力を持っているのではないか。
そして空気が読めない人たちはその能力がない、或いは低いのではないか。


伝授!空気が読めるようになりたい人へ | 女性の美学
自己中はNG…?空気が読めない人にありがちな5つの行動 - NAVER まとめ
コミュ障症状「言葉の裏にある意味を読み取れない」

脳はなぜ「心」を作ったのか

脳はなぜ「心」を作ったのか「私」の謎を解く受動意識仮説 (ちくま文庫)

脳はなぜ「心」を作ったのか「私」の謎を解く受動意識仮説 (ちくま文庫)

ドグラ・マグラ

ドグラ・マグラ (上) (角川文庫)

ドグラ・マグラ (上) (角川文庫)

この表紙が印象的だよね。
kindleを買った。これで青空文庫読みまくりだぜ!
それで初っ端にドグラ・マグラ読んだ。
作中の学説が哲学してて良い。
脳はなぜ「心」を作ったのか「私」の謎を解く受動意識仮説 (ちくま文庫)
これを思い出した。