難解俳句
- 出版社/メーカー: 文学の森
- 発売日: 2010/06/25
- メディア: 雑誌
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「この俳句さっぱりわからん!?」の特集、面白い企画だ。
わからんって、面白さが?表してる気持ちが?像を結ばないということ?
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話を俳句に限らず。
■わかる、わからないとはそもそもなにか?
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色がぽつぽつ置かれた抽象画を見て「わからんわ」と言っているのは、どんな思いが込められているのか読み取れないという意味だろう。
あるいは建物とか顔とか木とかとして見ようとして、それが出来ないでいるということかも。
団子虫をたくさん集めてくる子供を見て「わからんわ」と言っているのは、「(面白がる人にとって)どこが面白いのかわからない」つまり、自分にとって面白くないという意味かもしれない。
囲碁の番組をちらっと見て「わからんわ」と言っているのはルールを知らないという意味かもしれない。
(漫画とかも、ルールを知らなければどう読めばいいかわからない表現形式だよね。)
抽象画に対して風景画は「わかる」と言う人が多かろう。
カラオケで歌う面白さは「わかる」人が多いだろう。団子虫集めよりは。
ばばぬきのルールは「わかる」人が多かろう。
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わかる、わからないは相対的である。
家の絵があるとして、それが飾ってあったら大概「わかる」と思うだろう。
道で見せられてわかるかと聞かれたら、近所にその家があれば「わかる」と言って案内するかもしれない。
これが今の私の気持ちですと言われて見せられたら、ちょっと意味がわからないかもしれない。
■わからないものに出会ったときの反応。
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ふつうの人がわからないものに出会ったら、興味を惹かれず素通りするだろう。
抽象画とか、団子虫とか、囲碁の番組とか「わからな」ければ。
読み取れなかったり、面白くなかったり、ルールや意味を知らなければ。
ただ専門家とかマニアだったら、自分の専門のジャンル全部のものに言及するかもだけど。
それでも例えば萌えアニメが好きな人が、サザエさんを「理解できない」ってあんまり言わなさそうに思う。
それはサザエさんを、網羅して批評すべき「自分の好きなジャンル」の外にあると思っているから。
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わからないものに対してなお考察、言及しようとするというのは面白い現象だ。
そういうことはどんな場合に起こるのだろう?
ひとつ例えば、恋人の性格の、ある面が理解できなくてそれでも理解しよう、歩み寄ろうとがんばるということはありそうだ。
それは、理解すべき対象とされるその人が「すき」だからだよね。
またあるいは、派手な見た目の若者とかに対して、ちゃんとした格好をすべきだと言ったり。
これは、自分の理解できるもの意外を認めていない――理解できないその格好が「きらい」だからだ。
あるいは、そいつ自体と気が合わなくて「きらい」とか。
好意を持って追求する場合と、いやな感じを持って追求する場合がありそうだ。
■自分が読んだりするとき。
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私は小説や詩(ちなみに俳句は詩だと思っている)を読むとき、言葉のイメージが次々頭に入ってくるままにそれを受け止めるだけだ。
思い込みや、その言葉に関連する個人的経験によって受け止めるべき正しい(?)解釈、イメージから外れても、それは紛れもなく私の受けてしまった印象。
その受けた印象が面白いか面白くないかが大事。
入ってきた言葉たちを頭が自動的に処理して具体的な画になる場合もあるし、画にならないときもある。
(結ぶべき像や作者の意図、感情を)理解できる、出来ないという言い方がそもそもあまり重要じゃない。
敢えて理解できる、出来ない基準で言うなら、理解できてなくても好き嫌いに影響しない。
■レベル別難解俳句を作る試み。(上手下手は別として。)
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まず状況としては、これは俳句であり、俳句として鑑賞されることを前提とする。
レベル1
晴れた日は妻の得意な花菜漬
レベル2
意外なり妻の得意な花菜漬
レベル3
スリッパや妻の得意な花菜漬
レベル4
スリッパに妻が詰めるよ花菜漬
レベル5
スリッパが晴れたる花菜漬に妻
レベル6
パが晴ッれ菜スリた妻にる
レベル7
亜s度ふぃうv0lg−fぢbあfg;おいうtヴあいぢふぁいgぬ
レベル8
(あなたが今朝起きてはじめに言った言葉が私の作品です。)
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こんなものかな?
面白いと思うという意味では私的には全部あり。
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ちなみに上記全てはこういう前書き付の私の連作俳句です。