Aminosäureがsichになるまでの間に考えたこと

本などをきっかけに考えたこと。

世にも奇妙な物語 2009春

今回なかなかの良作ぞろいだったと思います。


「爆弾男のスイッチ」
石黒先生原作!
石黒先生の作品が映像化されている、ということが面白かったです。
探偵綺譚?石黒正数短編集? (リュウコミックス)
これに収録されてる。原作のタイトルは「スイッチ」。
原作はこれよりエピソード少なくてスパッと終わってます。
石黒正数先生はおすすめですよー。


「輪廻の村」
設定とお話がすき。
男の子がピアノ弾いてるとこと兵隊の絵を描いてるとこが奇妙な雰囲気でよかった。


「クイズ天国・クイズ地獄」
こういう演出のやつが毎回ひとつは入ってるよね。すきだわ。
人事部長みのさんw
終わり方がだらだらと蛇足だったのがもったいないな。


「真夜中の殺人者」
今回の中で一番好み。
終わり方も大好き。あの音楽の雰囲気。
あと、相武紗季かわいい(「絶対彼氏」も面白かった)。鈴木亜美も。


「ボランティア降臨」
とてもよかったよ。
タイトルや予告から、面白い問題提起を期待して見た。
主婦は感謝されないがボランティアは感謝される、と。そっちに行ったか。
しかしよく考えてみたら他にも面白い問題があるな。
善意についてだが。
夫の世話をしたボランティアのミチコさんの善意に、主婦の喜美江は歓迎しないという態度を示す。
善意が歓迎されなかったときにどうするかっていうのが、その人の善行に関する価値観を判断するポイントだと思う。
ミチコさんは、善意が十分に伝わらなかったのは反省すべき点で今後改善していきたいと言う。
つまり夫の世話をしたのは喜美江にとって良いことで、「善意」が十分に伝われば喜美江もよろこんでくれると思っているということか?
"善意が伝われば喜美江さんも喜ぶはずだ"
「夫の世話」を善行たらしめているのはミチコさんの「善意」そのものであって、逆に言えばどんなことでもそこに「善意」さえあれば相手は喜ぶはずだ。
ミチコさんはそう思っているということではなかろうか。
これは、ある意味他人個々人の独自性を否定しているというか、相手が喜ぶだろうと自分が予想すればそれは絶対外れ得ない、他人の心がすべて理解できる、あるいは自分と同じ法則によって精神状態が変化する、そういう考え方なんじゃなかろうか。
そういうのが怖いと思うんだ。
たとえば卵焼きが作りたい気分になって、妹に「食べる?」って聞いて、もしか食べてくれるんなら私の料理の後処理に付き合ってもらっただけで、食べてくれないんなら別に何もなくて。それがはじめから他人のためにと思って作ったのなら、食べてもらえなかったときがっかりするかもしれないけど、でもそんな、自分が断ったがためにがっかりされる姿を見るのも嫌でしょ。相手にとっちゃ。
たとえば私は人に手作りのものを贈るのが好きで、それは半分ぐらいは迷惑かもしれなくて、でも(悪いんだけどw)それも分かってて自分が楽しいからやってる。
でもさっきのシーンのあとで、喜美江が、ミチコさんにとってボランティアって何?とかたずねると、ミチコさんは自分が満たされるからボランティアをするんだって言ってる。これは私には、さっき言った意味で「怖くない」発言だよ。ミチコさん、普通のひとみたい。
そのことと、「善意」は喜ばれるはずだという怖い考えは、別に矛盾しないのか…