星虫
- 作者: 岩本隆雄,鈴木雅久
- 出版社/メーカー: 朝日ソノラマ
- 発売日: 2000/06
- メディア: 文庫
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五日目の夜の会話が肝だと思います。
まず、主人公友美が語った、星虫は何者かという説について。
別にこの作品の主題にとって大事なことではないのだが、
「真実」と「事実」ということを思い出した。
高校の現代文の授業で先生がそんな話をしていたっけ。
「事実」は科学的概念だけど「真実」は文学的概念、あるいは評論。
「事実」は客観的に一つに決まるけど「真実」は人それぞれの中にある。それぞれ違うこともありえるもの。
エピローグで秋緒によって語られる星虫の"正体"は科学的「事実」(すべてのことは仮定であると言ってしまえば事実なんてないとも言えるがそれはそれで)。
五日目の夜に友美が考えた星虫と人間の関係は友美の考え出した一つの見方、あるいは現象の整理の仕方、モデル。
そしてそれが作中世界では多くの人にとって「真実」と思えるほど切実に心にせまるものだった。
ということだと思う。
たとえばタンポポとヒマワリを、種を放って自らは死んでゆくという点で、同じ種類のものと見なす。
これは一つの見方。
地球もその点でそれらと同じ種類のものと見なす。
これも一つの見方。
五日目の夜の会話についてね。
私たち(の体やそこから成る機構)は山や川や延いては宇宙と同じ物質で出来ている。
この感覚は確かに面白い。
NHKスペシャルとか見てても、同じようなそういう面白い感覚を覚える。
最初は水素とかヘリウムばっかりだった宇宙にだんだんいろんな物質が出来てやがてガスが渦巻いたり、星とか出来だして、地球とか出来てたんぱく質とか出来て人間とか出来て。
(それも面白いけど「私」って体である以上に意識ですよね。"意識である私"にとっちゃその存在の不思議さはそういうこととはまた別問題なわけでこれも面白いよね)
地球と人間の関係。
うーん。
癌の気持ちとか地球の気持ちとかいう視点は新しかった(私にとって)。
環境の価値、の問題かな。
それはグレンラガンのとこでも書いたと思うけども、判断する主体が存在しなければ物事に善いも悪いもないということ。
環境破壊とかいろんな生き物の絶滅とか、それが悪いことだと言い得るのは、それを悪いと思っている何者か(例えばたぶん人間でしょう)が存在するから。
そしてもし地球に意識が存在しないとすれば(多くの人は存在しないと思っているだろうけど)、地球にとって善いとか悪いとか言うことは意味がないということ。(だよな?)
それからまたNHKスペシャル見て知ったんだと思うが、作中でも言ってたっけ? 地球の生物は今まで何度もいろんな原因で大幅に数が減ってる。たくさん絶滅してる。このさき人間がいなくなったところで、何だって言うんだ?
そうだなぁ。
温室効果で地球温暖化してるとか言うけど、これは恐竜絶滅のときにも自然現象として同じようなことが起こってたとか(ただそのスピードは人間がやってるほうがずっと早いけども)。
そんなものなんだろう。
作中では人々は第六感的なもので地球の複雑な親心を感じ取るけれども、あくまでそれは作中ではそうなのであって。
現実ではどうか?
それはゼロから考えたい問題だな。
作品が提供してくれるのは透明な問題の格子だけだ。
作中の"地球の声"は現実について考える場合、答えではないし、ヒントでもないと思う。
で、結局私はこれを読んで何を得たか?
発想が沸ききりません。先生、解説を。