Aminosäureがsichになるまでの間に考えたこと

本などをきっかけに考えたこと。

意識的・無意識的

生活が変わると、エネルギーが要る。
それは、物事を意識的にこなす時に必要となるエネルギーだ。


生活していると、その中で意識的にこなしている行動と、無意識にこなしている行動がある。
例えば、毎朝お弁当を作っていて、そこに必ず卵焼きを入れているとしよう。
その人が朝台所に向かいボールに卵を割りいれるという行動は、毎日くり返されているのでもう脳が覚えてしまっていて、意識していなくても半ば自動的にスムーズに為されるだろう。
しかし他のおかずは何にしようかと考えたり、冷蔵庫を開けて賞味期限を見て、今日の晩ご飯との組み合わせを考えるのは、おそらく意識的に「頭を使って」為されるだろう。
あるいは、3時に歯医者の予約が入っていることを確認し、その時間に間に合うように逆算して出かけていくことも、意識的に為されるだろう。
無意識にできることが多いと、楽ではあるがそればかりだとあまりに退屈だ。
意識的に物事を為すことは充実感をもたらすが、そればかりだと疲れてしまう。
意識的に行うことと無意識に行うことの、バランスが重要なのだと思う。
(ほんとは、やっていることが十分に楽しいなら、そんなこと関係なくなるのかもしれないが。)


生活が変わると、毎日の習慣のサイクルが変わる。
弁当に卵焼きを入れるのをやめたら、自動的に卵を割りいれようとする自分を、意識的に止めなければならない。
そうそう、卵焼きはやめたんだった、と。
家族の人数が変われば、いつも同じように炊いていた米の量を変えなければならない。
毎朝4合と決まっていたこれまでと違って、「今これだけ残っているから次は何合」と、意識的に頭を使って考えなければならない。
そんなふうに、「意識的」の割合がどーんと増えてしまうのだ。
これは、新しい生活サイクルが確立されるに従って、またそれらも無意識に行えるようになってくるだろうが、最初が大変である。
だから生活が変わった時は、大変なんだということを自覚して、あんまり無理をしないように心がけたいものである。


関係ないけど、包丁使うときって、皆ほんとに「猫の手」にするの?