Aminosäureがsichになるまでの間に考えたこと

本などをきっかけに考えたこと。

西の魔女が死んだ

西の魔女が死んだ (新潮文庫)

西の魔女が死んだ (新潮文庫)

まいは13歳だ。あまりにも13歳だ。
まいが年相応な事をしても、大人びた行動をとっても、成長をとげても、
まいはやっぱり13歳だ。と思わせる。
語り口のせいかな。
まい(13歳)というより、13歳(まい)というかんじ。
でも13歳は皆こうなのかというとそうでもない。
このまいがとても13歳的なのだとすると、
すごく13歳っぽい13歳と、13歳っぽくない13歳がいると思う。
私自身は小さいころも今も、あんまりかわってなくて、
昔も今も、バカなとこはバカなまま、賢明なとこは賢明なまま、であるように思う。


死って何なのか考えるのは面白いよ。
夏の庭―The Friendsとかも死を考える児童書だな。
私がこれ読んだのちょうど13歳ぐらいの時だった気がする。
そういうことを考える時期ってそれぞれあると思うけど、
それは年齢にはあまり関係ない気がする。
何かきっかけになる出来事が起きるのがいつかによって違うと思う。
それは身近な人の死に限った話じゃなく。
まいの場合はなんなんだろう。
でもなんというか、「死」を考えるのは面白いけど、
「大切な人の喪失」を考えるのは面白くない。


療養中なのにばんばん働く、まい。
私はこの本を、風邪ひいて何もできないときに読みました。
その人の状況によって何が「休息」なのかは違うよなぁ。
風邪に限った話じゃなく、今の私には、魔女修行をするまいが、すごく強い人に見える。。