Aminosäureがsichになるまでの間に考えたこと

本などをきっかけに考えたこと。

刻まれない明日

刻まれない明日

刻まれない明日

「失われた町」の続編。
起こる、気づく、受け入れるとか、時間差で生じるのが安易でないし、不思議な設定に見えて逆に現実に似ているのかも。
終わる世界や消えた町を抱いた物語の、中途半端な時期を描いてるとこが伊坂幸太郎の「終末のフール」とも共通してると思う。
悲劇が起きる話についてだけど、
たとえば瀬尾まいこさん「幸福な食卓」の最後の話の悲劇なんかは、直接的で読者も一緒にしんどい気持ちになって、或いは拒絶反応を起こしてしまうけれど、「刻まれない明日」や「終末のフール」における悲劇は、すでに起こってしまったこと、決まっていることだ。
物語における事実・展開は、現実と違って作者が決めたことだけれど、後者2作品の悲劇はまるで現実に起こったこと(一瞬以上前に起こったこと)みたいに、変えられない現実として自然に受け入れるべきものってかんじだ。
幸福な食卓」の悲劇は生きてたら思いもよらない悲しいことが起きるって状況を書こうとしてるんだろうから、別物で、どっちがいいとかじゃないけどね。
ぼんやりした他人事みたいな(別れの当事者に感情移入するのとはまた違うかんじ)死とか別れのほうが、まだ私にはリアリティがあるし、なんというか、考える余裕がある。