Aminosäureがsichになるまでの間に考えたこと

本などをきっかけに考えたこと。

涼宮ハルヒの憂鬱

涼宮ハルヒの憂鬱 (角川スニーカー文庫)

涼宮ハルヒの憂鬱 (角川スニーカー文庫)

1巻、飛ばし読みで読了。
少なくとも1巻はとても面白かった。
ただし私にとって本作は美味いカクテルのようなものだ。
すごく美味しいんだけど、お酒入ってなければもっといいのに。
すごく面白いんだけど、萌えとか無ければもっといいのに。
SF的あるいは文学的にとても好きな作品でした。


うかつに復活!!邪神大沼 2 (ガガガ文庫)の黒魔術の女の子も、AURA ~魔竜院光牙最後の闘い~ (ガガガ文庫)のヒロインも、ハルヒも、今ここに無いものを求めて非常識な行動を取るけど、ハルヒの場合その様子や動機がほとんどの時とてもポジティブなんだ。
やけくそや恐れからの現実逃避じゃないんだ。
それがどういう意味の違いを生むのかまだ考え中。(物語のテンポとか以外の面でね。)
考えの断片。
前者二人にあるのは、世界の欠落を埋めるためのゆがみで、ハルヒはどちからというと、更に楽しいものへと世界を拡張しようとするがためのゆがみ?


因果関係がぶつ切りで、物理法則が意味を成さない、過剰に論理的な世界。(本当はこの現実の世界はそのように過剰に論理的なのだけれど、なぜか毎日同じ物理法則が成り立っている(ように思える)よね。)
そこでならみくるちゃんが過去で何しても未来に影響しないし(「因果関係」なんて幻想だから)、古泉の言う3年前世界創造仮説も余裕で成り立つしハルヒの考えたことがなんでも実現しても、だれも突っ込む権利は無い。


ところで未来や現在の世界の様相や自分は行動は何によって作られるのだろう。
外からやってくるものなのか。
自分で決めたり作っていけるのか。
ハルヒみたいに世界を変えることなんてできないけど自分の行動は自分で決められるよとか、
未来のことは分からないけど今のことは自由に決められるとか、
自分が何か働きかけたら世界は少し変わるとか、
いろいろあると思うけど、
私は便宜的に過去から未来まで何が起こるかすべて決まってると考えていた。
世界の様相も、自分の行動も。そうなるしかない唯一つの道筋。そうするしかない唯一つの行動。
それは良いことでもなくて悪いことでもなくてただそうある。
自分の主観さえも、自我の無い世界そのものの客観に共感して、無いみたいになって。
(一時期は起こるそれらがすべて善いことだと思っていたこともあったけど。)
(便宜的に、というのは、論理的にたどり着いた信念とかではなくて、そう考えるのが精神衛生上良くて便利だから自然にそうなってた。)
あなたの人生の物語 (ハヤカワ文庫SF)の表題作の主人公と少し似た考えかな。
実際自分を含めこの世界がどうなるかはどうやって決まっているのだろう。
自由意志については[続き物]観測者 | 夕暮れ散歩道と関連してるかな。