Aminosäureがsichになるまでの間に考えたこと

本などをきっかけに考えたこと。

世界と性と生と死

最終兵器彼女 (1) (ビッグコミックス)

最終兵器彼女 (1) (ビッグコミックス)

ちょっと前に読了。


愛人 2 (ジェッツコミックス)

愛人 2 (ジェッツコミックス)

読了。書影の表紙が恥ずかしいな。
状況(特に外からの環境の変化)がほとんど推移しないでこれだけ様々な感情が漫画で描けるんだな。
しかし鬱な話だ。
死ぬことじゃなくて生きることが恐くなるという。
苦しさとか、取り除けないものは忘れるしかないよね。基本的に。
気分を切り替える、というか。
彼らもきっとそうしたんだし。
(読んだら思い出してしまうじゃないか。)
でも苦しさとか、まったく無価値とも思えなくて、この世に存在する感情ならば記録しておきたい、表現したい、という気持ちもある。
恐いもの見たさ、苦しいもの見たさでじっと見ていたくなるような気持ちもあって、困る。


マダム・エドワルダ/目玉の話 (光文社古典新訳文庫)

マダム・エドワルダ/目玉の話 (光文社古典新訳文庫)

読了。
バタイユ鬱病の母親に殺されるのを恐れた。
鬱病の母親に、殺されるのを、恐れた。


なるたる(1) (アフタヌーンKC)

なるたる(1) (アフタヌーンKC)

読了。
悲惨というより芸術的。
ひろちゃんとアキラちゃんの対比が面白い。悪いのは自分か世界か。
シイナと母親の関係が行き着くところが気に入らない。
他の重厚さに比べて薄っぺらに見える。
(それともほんとはあれは複雑な思考の推移の末にたどり着いたものなのかな。人間は自らを救うため、残った者を愛するように出来ているかもしれない、とは思う。)