Aminosäureがsichになるまでの間に考えたこと

本などをきっかけに考えたこと。

天元突破グレンラガン

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いろいろ考えてたら頭が混乱してきて、何にポイント絞って考えたいのかわからなくなってきた。
とりあえず簡単に。


シモンたちも、ロージェノムも、反螺旋軍も、敵対しあうけれど、皆同じように「宇宙滅亡を防ぎたい」と思っている。
「宇宙滅亡は嫌だ」という同じ価値観をもっているからこそ、敵対するのだとも言える。
(「幸せに暮らしたい」という同じ思いがあるから資本主義と社会主義が対立するようなものか?よくわからんが。)
とにかく三者は同じように「宇宙滅亡は嫌だ」と思っている。
それでは、「宇宙滅亡は悪いことだ」というのは、客観的事実なのであろうか?
何かが良いとか悪いとか、喜ばしいとか嫌だとか、そんな主観的な判断は世界に起きる純粋な事象にもとから伴っているのではないはずだ。
だって、もし世界に一つも何かを見たり感じたりする主体が存在しないとして、その世界が誕生したり消滅したりしても、そのどこに「良い」とか「悪い」とかの価値が生じる余地があるだろうか。


では現実の、何が「良い」か何が「悪い」かはどこからきたのか?
何で決まったのか?
何かを「喜ばしい」と思ったり「嫌だ」と思ったりすること(あるいはもっと単純に「快」とか「不快」とか、「良い」「悪い」)は、進化の結果生じたと考えることができる。
例えば、食欲がある生き物とない生き物がいたとする。
前者の方が生存に有利なので、後者は淘汰されて前者が生き残るだろう。
するとその世界には、「おいしいものをお腹いっぱい食べることは喜ばしい」という感覚を持った生物が満ちることになる。
そんなふうにして何が「良い」か、何が「悪い」かが決まったとすると、その生物を生き延びさせることに対して、そいつは「良い」と感じるということだ。
「良い」ことを求めるということは、生き延びようとすること。
「悪い」ことである「宇宙滅亡」を嫌う三者
螺旋の力を捨てた反螺旋軍は、螺旋軍とは随分違う価値観を持っているように見えるが、彼らも「生き延びようとすること」をやめたわけではないのだ。


では、それさえやめてしまった生き物というのは存在するのだろうか?
生き延びようとすることをやめてしまった生き物は、生き延びることがないだろう。
すなわち、世界には生き延びようとする生き物しか存在しなくなる。


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