Aminosäureがsichになるまでの間に考えたこと

本などをきっかけに考えたこと。

他者の意識が存在するとしたらそれはどういう意味なのか

この世界のあり方として、それは私から開けた世界なわけですが、それはある一人の人の一人称固定の小説や漫画のようなものではないかと。
他者の意識というものは、その小説なり何なりを別の意識を一人称として書き直すこともできる、そのことを想像することもできるということなのではないかと。


でも現にこのお話は私から開けているわけで、これがこの世界のあり方で、多分そうでしかあり得ない。私が考える石ころだったとしても神様だったとしても、私=○○の、○○に入るキャラクターを特に持たない只の視点だったとしても、世界は私から開けていた。どの場合にも私がそれに気づくかはわからないけれど。
だから、他者の意識は上に書いたような書き換えの想像可能性だ。この世界の一人称は現に私で、きっとそういうものなのだ。


前に別のブログに書いた観測者の話を考えると、確実に私だと言えるのはその物語の一人称の主人公ではなく、それを読んでいる人、すなわち観測者だな。
そしてその読者は一人称の主人公が自分だと思い込んでいる。小説とかより、フルダイブ型のゲームみたいなものだと思ったほうがいいかもな。