[本」三浦俊彦「戦争論理学」
- 作者: 三浦俊彦
- 出版社/メーカー: 二見書房
- 発売日: 2008/09/01
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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問17にて私が理解したところ。
トルーマン:
(原爆完成後実験)思ったよりすごい!ソ連参戦しなくても日本降伏させれるわ。
(ポツダム会談)ソ連さん、参戦、ほんま頼みます。
(ソ連参戦後)なに参戦しちゃってんの?!怒
え、なにこれ怖い。鬱病の人みたい…
問い52まで読んで、(ポツダム)(原爆完成)(ソ連参戦)という順番なのか?と思った。
それならまあちょっと恐いぐらいだな。
問い53
論理的議論をしていい文脈といけない文脈がある。書いてあるとおり、倫理の話がずばりそう。「どうして人を殺しちゃいけないの?」って言っていい文脈と言ったら怒られてしまう文脈がある。永井さんも、偉い人はそんな議論する立場に立ったらいけないと書いてた。
問い54らへんからの、被爆写真の話。
小中学校で散々見せられるグロ映像にも関わらず、冷静に論理的に考えられているぞ、私たちは!と思うことができるという分には、あのグロ映像は役立っているのかもしれないね。きっとちょうど、醜女を好きになった時の安心感のようなもの。近づきたくないホラーだと思う期間を乗り越えないといけないけどね。(ホラー以上の恐怖を現実で個人的に体験すればホラーの怖さは薄れると思う。それを体験しないですんでいる幸運な人にとっては、戦争教育によって得られるものは「ホラー恐い」のままかもね。)
感情と論理。目まぐるしい状況の変化について来られるほど進化のスピードは速くない。だから論理より感情を優先するのは得策でない。
しかし自分の行動を決めるとき感情は無視できないファクターであることは確かだ。非論理的だとわかっていても感情に従ったほうが満足度が高い場合がある。あるいは、論理の為に感情と戦ったりなだめすかしたりしないといけない時とか。
たとえば通りすがりのメンヘラビッチが処女のこととか考えた。 - Aminosäureがsichになるまでの間に考えたことで書いた、恋の中に居る女が処女を捨てるかどうかの判断。
あと、ダイエットをするときとかに。駅までの道での消費カロリーとか、ダイエット食品やスポーツジムの値段とか、家族がお菓子を買って来がちかとかと並んで、自分の感情(お菓子食べたい度合い、運動したくない度合い)も、作戦に組み入れないといけない重要な要素だ。
目標達成や満足度を上げるために、感情を作戦に組み込むということ。
他人の感情も自分の感情も、この世界を構成して原因結果の流れの中で重要な役割を果たす。
自分にも他の人間にも感情という阿呆な機能が付いていて、無視したら余計に暴れるから、うまく共存していくしかないのだな…
ちなみに、小中学生の時に戦争グロ映像を見せられた感想は「見たくない、戦争について話したり考えたりしたくない」だった。今後戦争が起こることへの恐怖ももちろんあったけれど、過去に起きた戦争の記録に触れることのほうが近いところにある恐怖だった。
将来の戦争だって天災みたいなもので、自分の行動によって止められる可能性なんて思いつかなかった。
今すぐ命の危険があることをしようとしている子供を、親は恐い顔や大きな声で叱って止めるべきだが、将来の戦争の可能性はそういうのじゃない。高いところから身を乗り出すのは危険だと、子供は後々自然に知るだろうが、どうしたら戦争にならないか考えることは、放っておいても自然にするようにはならないだろう。ましてやグロ映像を見せられて育てば余計に考えないようになるだろう。