Aminosäureがsichになるまでの間に考えたこと

本などをきっかけに考えたこと。

アニメ「響け!ユーフォニアム2」9話を見て思ったこと

親子関係とは扶養と隷属の一対の義務である。それは子供が産まれたときに否応なく生じる。
社会規範の圧力がなければその構図はより顕著に現れるのではないか。親は子供に暴力を振るってもいい。
と、思ったが、社会規範がなければ親が子を扶養する義務はなくなる。飢え死にさせてもよい。親は子を好きなようにしていい。それが現実で現れている場面が妊娠中絶であろう。
扶養と隷属の関係というのは、親が社会規範の中で子を扶養する時に生じるのか。
そして子は本当に好きなことをするには自分で生きて行けるようになる必要がある。それまでは親の元にいて、庇護されねば生きられない。そしてその為には親に従わねばならない。子に関しては親に社会規範が働いていようがいまいが同じである。


アニメ「響け!ユーフォニアム2」9話で、主人公姉妹の家とあすか先輩の家の親子関係が出てくる。
主人公の父親が主人公の姉にこういう意味のことを言う。「好きなことをしたいなら家を出て自分で稼いでしろ」と。そして姉のこれまでの親に従ってきた態度。これこそ親子という扶養と隷属の関係を示している。そしてその相互の義務に従いながらでも姉のように苦しむ者もいるし主人公のように上手くやるものもいる。自然に上手くできてしまう後者が、前者に不可解さを感じ批判する。この主人公のようにこれももっともな態度である。父、姉、主人公、どの態度ももっともである。
そしてあすか先輩は親に対して逃れられない縁、恩を返す義務を感じている。しかしそれは養われている、世話されている為ではなく、血縁の為だ。そしてそこからは一生逃れられないと感じている。なぜだろうか。親を突き放せない自分への言い訳だろうか。法律上、相互扶助の義務が血縁から生じるからだろうか。それとも血縁への超自然的な妄信だろうか、とてもよくあるところの。


そして、家族が血縁や扶養義務の為に愛し合ったり、また逆にその為に憎みあうというのはおかしな話で、それらの中にいて、尚、とか、且つとか、きっかけにして、とかで、愛し合ったり憎みあったりするのだ。
家族・血縁・扶養義務、というのはグループの形態。そこに生じる感情が愛であろうと憎しみであろうと無関心であろうと、どこにも必然性も強制力もない。